8絵と映像

2011年8月26日 (金)

映像絵巻で見る「源氏物語」

今日は、だれもが知っている「源氏物語」のお話です。
日本が誇るこの古典は、光り輝くような貴公子「光の君」こと、光源氏を
中心とした恋愛大河ドラマです。
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きらびやかな宮廷を舞台に、またあるときは、もの悲しい都のはずれを
舞台に。。。光源氏はさまざまな姫君たちと、愛憎劇を繰り広げます。
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しかし、単なる男女の話ではなく、これが、文学として千年もの間
読み継がれてきたのは、根底にある無常観かもしれません。
どんなに愛し合っていても「永遠の愛なぞ、ないのだ」と教えて
くれているようです。愛のこっけいさや愚かさをのぞかせながら、
そのはかなさを慈しんで綴られているようにも思えます。
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なかでも、とくに「はかない恋」として知られるのは「夕顔」の帖です。
夕顔の白い花咲く町家に隠れ住んでいた美しい女は、
光源氏に愛されながらも、自分の名前すら明かしませんでした。
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そして、ある晩、物の怪にとりつかれ、突然、息絶えてしまいます。
この女性は、何者であったのか?物の怪の正体は何なのか?
何もわからないまま、夏のひとときで断ち切れてしまった縁でした。
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多くの人が魅了されてきた「源氏物語」ですが、わたしもそのひとり
です。今まで、映画になったり、まんがやアニメになったりしてきましたが
わたしも描いてみました。そして、それが、映像になりました!
とは言え。まだまだちょこっと。。。パイロット版。CM風ですが。。。
You Tubeのこちらで、見れます。
どうぞ、のぞいてみてください。

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2010年2月22日 (月)

中原中也を描くその2「骨」

中原中也の「骨」は、自嘲の詩といわれています。

ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きていたときの苦労にみちた
あのけがらわしい肉を破って、
しらじらと雨に洗われ
ヌックとでた 骨の尖(さき)

1
それは光沢のない
ただいたずらにしらじらと、
雨を吸収する、
風にふかれる、
幾分空を反映する

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とてもおどけた調子で歌っています。
この詩を発表した当時中也は26歳でした。でも、作品が認められていた
わけではありません。若いですし、だれよりも感受性の強い彼にとって
それは、どれだけつらかったでしょう。
もう、死んだつもりで死後の世界から自分をながめています。
「絶望感を道化る気持ち」をどう表現するか?と考え、
思いついたのが「犬」です。
自分の気持ちを、ぶんとほおりなげてみたところ、追いかけてくれるのは
「犬」ぐらい。どうせ、俺の詩なんて、犬のおもちゃぐらいのものさ!と
泣き笑いしている「骨の中也くん」を描いてみました。

生きていたときに
これが食堂の雑踏の中に
座っていたこともある、
みつばのおひたしを食ったこともある、
と思えば なんとも可笑しい。

3
ほおり投げた骨は 現世(現実)へとんでゆきました。
そこには、生きていた(いる?)自分がいます。
この黒い彼は、ふだん詩人としていきがっているわりには
案外ふつうで、しかもおくびょうなのです。

ホラホラ、これが僕の骨
見ているのは僕?可笑しなことだ
霊魂はあとにのこって
また骨のところにやってきて
見ているのかしら?

4
「生きている現実の中也くん」と「骨の中也くん」は、おにごっこをしたり
かくれんぼをしたり。。。犬も遊んでもらえて大喜びです。
実際は、出口がみつからず、孤独に苦悩している中也の叫びを
うんとコミカルに表現してみようと思いました。

ふるさとの小川のへりに
半ばは枯れた草にたって
見ているのはーー僕?
ちょうど立て札ほどの高さに
骨はしらじらと とんがっている

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投げた骨(心)は、結局ブーメランのようにもどってきました。
でも、そこは、ふるさという「ありのままの自分」があるところ。。
本来なら、安らかな場所のはずです。なのに、どうしたことか、
荒涼とした草むらなのです。
もはやこれまで。。。無常感を抱いて横たわる「骨の中也くん」。。。
それをこんどは「生きているはずの中也くん」がしらけた目で
霊魂のようにただよいながら見下ろしています。
せせら笑っているのかも知れません。
犬は、骨が動かなくなったので、つまらなくなり どこかへ
行ってしまいました。 とさ。。。

もがいている心をおちゃめに歌ってみせた中也。
彼の心に寄り添って「哀しいけどユーモア」があって。。。
どこか清澄な音楽のような。。。 そんな絵にしたいと
欲張りながら描いた絵です。

(つづく)
こちらの絵は「映像で綴る日本の詩歌 中原中也」におさめられています。

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2010年2月18日 (木)

中原中也を描く その1「サーカス」

わたしは 物語に絵をつけるのも好きですが
詩に絵をつけるのも とても好きです。
詩人中原中也は、好きな作家のひとりです。
中也の代表作のひとつに「サーカス」があります。
こちらに絵をさしこみながら、読んでみますね。
読めば、そうそう!となつかしく思い出される方も多いのでは?

幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました
0
この戦争とは、日清日露戦争のことらしいのですが、それを描いても
詩の持ち味が台無しになるので、抽象画ふうにしてみました。
人らしきものを並べて兵隊さんをイメージ!
ぐるぐるした線は「争い」のつもり(笑)
ちらちらした白い円は、ちってゆく魂か(笑)

幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
今夜はここでひと盛り
今夜はここでひと盛り

1
「ひと盛り」にかけて「ひとり」をアップ!
どうやら時代は変わったらしい。空気感も変わって、何か感じている
つもりの人物。。(笑)

サーカス小屋は 高い梁(はり)
そこにひとつのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭さかさに手を垂れて
汚れ木綿の屋根のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
それを近くの白い灯が
やすいリボンと息をはき

観客様はみな鰯
のどがなります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
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詩の場面は一転して、サーカス小屋に移ります。
空中ブランコなのにちっともわくわく感を感じません。
何かが。。。ただぶらさがって揺れているばかりに思えます。
それを見ている観客も 鰯のように群れているものの
歓声は聞えず、のどばかり鳴らしているようで、どこかぶきみです。
なんだか、さめたいのにさめない もやもやとした夢の中のようです。
どこか退廃的な中也の内面をのぞいているみたいです。

屋外は真っ暗 闇(くら)の闇(くら)
夜はこうこうと更けまする

落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

3
詩の場面は、サーカス小屋から外へ移ります。
暗闇のなかに、三角のテントだけが、ぼおーっと浮かんでいるようです。
時間も空気もただそこで、たゆってばかりで 進みません。
まるで、昔栄えた国が、深海にしずんだあと ひっそり霊になって
ただよっているような印象です。

幻想的な詩だなぁ。。
「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」という旋律が 心にこだまする。
虚無的で哀しいこんな擬音をつぶやいた中原中也。
彼は生来、普通の人とはちがって、えら呼吸しながら、きれいな沼に
棲んでいたのかしら?

(つづく)次回は別の詩と絵で。。。。
こちらは映像で綴る日本の詩歌「中原中也」に収めれれています。

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