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2010年9月 6日 (月)

ただ降り注ぐ仲間の読経(8月歌会)

去る8月24日(火)五行歌の会「麹町倶楽部」に出席してきました。
五行歌とは短歌でもなく、俳句でもなく、五行で自由にまとめる歌ですが、
この連日の猛暑猛暑。。。暑さを詠う歌、蝉の歌がやはり多かったです。
このたびの栄えある一席の歌も蝉の歌!
でも、場面がとても新鮮!読んだのはこの会のベテラン清也さん♪です。

蜘蛛の巣に
絡めとられた
蝉の身に
ただ降り注ぐ
仲間の読経

コントラスがくっきりした美しいお歌だなぁと思いました。
蜘蛛の巣の蝉の「死」と「静」と「個」。
蝉時雨の声の「生」と「動」と「群」。
「死と静」はうすぐらい地面の近く「下」にあって孤独です。
「生と動」は空の近く「上」にあってにぎやかです。
地獄と極楽みたいです。

蝉しぐれを「読経」としたところが秀逸!すてきだなぁ。
蝉はただただおのれの子孫を残すために鳴くわけですが、
死を目の前にした一匹の蝉を見たとき
作者には他の蝉の声が「読経」に聞えたのでしょうね。
わたしには、仲間の死をなげく、われんばかの慟哭のように聞えたり
逆に闘牛場の歓声のようにも聞えます。
でも、それは「ただ降り注ぐ」だけ。
今、食われる蝉を助けるものはいません。
きびしい生き物の掟ですが鳴いている蝉の命もあとわずか。。
と思うと哀れな気持ちになりますね。
命のはかなさが浮き彫りになるようなドラマチックなお歌だと思います。
リズムも五七調で、心にすうっとはいってくるようです。
Photo
今回はとても絵にしやすい歌でした。
うっそうとした林の中。朽ちかけた古寺から、偶然この光景を見た!
と設定して描いてみました。
見たのは、旅のお坊さん??無宿者?浪人もの?
それとも、こっそり冒険にきた少年だったのか?
叱られて泣きにきた娘だったのか??
みなさん、それぞれの想像しだいで、読んでみるのも
楽しいと思います♪
2
清也さんのお勤め「ハウス食品」では、ホームページで
「食の五行歌」として公募作品をたくさん掲載しています。
家族、夫婦などをめぐる「食」の歌。
お時間のある方はこちらをごらんください。

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コメント

すばらしい絵とコメントですね。
右上半分に簾のようなあしらいがあるのも、素敵です。
朽ちかけた古寺に立って見た風景という設定も、
なるほどと思いました。

歌から絵を描くと言うことは、
歌の解釈にあいまいなところがあってはできないのだと、
改めて感じます。

投稿: 映子 | 2010年9月 6日 (月) 16時20分

映子さま
ありがとうございます(感動の涙)
清也さんが、古寺から見たわけではないけれど、
挿絵の仕事というのは、
作者の世界観を広げて
読者にいっそう楽しんでもらうのが
「つとめ」だと思ってます
歌などは小説より象徴的なので、ぐっとかじを
かえるときがあります。
清也さんに叱られないといいけどなぁ。

投稿: ぷりん | 2010年9月 6日 (月) 18時08分

歌も良いが、絵もそれを超えている、いや支えている、同化している・・・
いやどうかしている。
夏に潜む生と死、光と影・・・
古寺の設定も重なりました。
新しいコラボレーションの世界が生まれました〜♪

投稿: アルキメデス | 2010年9月 6日 (月) 21時53分

大感激です。自分の歌が絵になるなんて。よもやこんな日が来るとは。麹町に行っててよかった。
その上、歌をはるかに凌駕していて、作者の世界をはるかに超えています。

1箇所クレームを。「ベテラン清也」ではなく、長いだけの「ぐ」の型「ぐうたら清也」です。ね、ぷりん大先生。
ありがとうございました。

投稿: 清也 | 2010年9月 7日 (火) 07時35分

アルキメデスさま
どうも、ありがとう!嬉しいです。
『光りと影」をテーマにしたかったので
色彩は、黄色と黒で。。。ええっと、場所は。。。
と思ったら「古寺」が思いつきました♪
蜘蛛の作戦というのは持久戦。
時間はかかるけど、自分より大きな獲物を
手にいれられます。ようやく引っかかったおおきな獲物。
「うまかろう!」と蜘蛛はわくわくです。
ひとつの油断が生死を分ける。生き物の世界は
毎日「戦」ですね。
そうした、緊迫感のあるお歌でしたねぇ。

投稿: ぷりん | 2010年9月 7日 (火) 11時23分

清也さま
気に入ってくださって、嬉しいです。
ほっとしました。めでたし!です。

私好みのドラマチックなお歌でしたので、
描いてて楽しかったです。

わたしは「ば」型だそうです。
ばか正直なんだそうな。。
策士のつもりなのに(笑)

投稿: ぷりん | 2010年9月 7日 (火) 11時31分

お久しぶりです。
ご無沙汰してしまい、すみませんでした。(大汗)

ホントにすばらしい歌と絵ですね・・・。
セミの声をそんな風に聴くとは、今まで感じたことが
ありませんでした・・・。

来年の夏、セミ達の声がどんな風に私の頭に響くのでしょうか。
間違いなく、今までとは違う聴き方をすると思います。
それだけの、すごいインパクトのある歌と絵でした。

投稿: Sey | 2010年9月 7日 (火) 22時28分

Seyさま
睡蓮鉢とともにお元気でなによりです。
ブログ再会されてうれしいわ。

人間は長生きですが。虫の命は短い。
子孫をのこすまで、ものすごく濃密で凝縮した
時間をすごすんだなぁ。
としみじみ思った歌でした。
seyさんもめだかを見てるといろいろと
人の一生と比較してもの思ったりなさって
いるかもねぇ。

投稿: ぷりん | 2010年9月 9日 (木) 07時05分

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