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2010年2月

2010年2月28日 (日)

「東京を捨てたのか」

すっかり、ブログの更新が遅れています。
ああ、そして、遅れに遅れた去る1月26日(火)の
麹町倶楽部歌会の報告です。
こちらは「五行歌」という短歌でもなく、俳句でもなく
五行でまとめる詩の会です。

参加者投票の結果、一席の歌はこちら。

いつの間に
東京を捨てたのか
麦踏む日々を
伝える
友の賀状

Photo
こちらを歌われたのは、村瀬杜詩夫先生です。
前回に続いてまたも一席!です。
ご友人からの年賀状を見て「はっとした」気持ちを読まれた歌です。

村瀬氏のお話によれば、そのご友人に
「自分は、いつか東京を捨てて隠遁したい」
話されたとか。。。。されど、話した相手が、先を越して「麦踏む日々」を
実践してしまった。何の連絡もなく、いつのまにやら、地方へ。。。
そのことは賀状で、事後報告として受けた。。。というのです。
きっと、、おいてきぼりを食ったような、少し裏切られたような。。。
そんな一抹の寂しさでお詠みになったのでしょうね。
「東京を捨てたのか」の一行に小さな恨みが見えるようです。

さて、絵をおこすため、私なりに、作者の気持ちを掘り下げてみます。

(ぷりん流 村瀬氏の独白)
人生も終盤になってきた。
「欲張りな東京」は、もう捨てて、地方で「心静か」に自然とともに暮らしたい。
とはいえ、日々の雑用もある、人からも頼りにされる。。。そして何よりも
この東京の刺激から離れたがらない自分がいる。
自分にはまだ「欲」があるのだ。
なのに、あいつは、すっぱり(自分ができないでいる)欲を捨てたのか?
しかも、なんの相談もなかったではないか?
なんだか、出し抜かれた気分だぞ!

さて、そんな想いをどう描くか?

バックには山の風景らしきもの。
朝焼けか?夕焼けか?いずれにしろ、都会とはちがう美しいところです。
空に鳥。。。便りを運んできた鳥なのか?いやいや2羽ですからね。
あれは、ふたりがつるんでいた過去なのかも知れませんね。
前面に男の後ろすがた。。
山村に住む友人か?友人に想いを馳せる作者か?
どちらでもいいのです。今、離れたふたりですが、想いは一緒。
重なり合って、同じ空を眺めているのです。
作者が感じた小さな裏切りは、友人の男の人特有の「照れ」だったのかも
しれません。
いずれ、作者は、友人のいる地を訪ねていくことでしょう。

などど、想像しながら描いた絵です。

で。。。ぷりんの歌は???。。。また次に。。。
「中也」ももう少しやってみたいと思っています。

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2010年2月22日 (月)

中原中也を描くその2「骨」

中原中也の「骨」は、自嘲の詩といわれています。

ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きていたときの苦労にみちた
あのけがらわしい肉を破って、
しらじらと雨に洗われ
ヌックとでた 骨の尖(さき)

1
それは光沢のない
ただいたずらにしらじらと、
雨を吸収する、
風にふかれる、
幾分空を反映する

2
とてもおどけた調子で歌っています。
この詩を発表した当時中也は26歳でした。でも、作品が認められていた
わけではありません。若いですし、だれよりも感受性の強い彼にとって
それは、どれだけつらかったでしょう。
もう、死んだつもりで死後の世界から自分をながめています。
「絶望感を道化る気持ち」をどう表現するか?と考え、
思いついたのが「犬」です。
自分の気持ちを、ぶんとほおりなげてみたところ、追いかけてくれるのは
「犬」ぐらい。どうせ、俺の詩なんて、犬のおもちゃぐらいのものさ!と
泣き笑いしている「骨の中也くん」を描いてみました。

生きていたときに
これが食堂の雑踏の中に
座っていたこともある、
みつばのおひたしを食ったこともある、
と思えば なんとも可笑しい。

3
ほおり投げた骨は 現世(現実)へとんでゆきました。
そこには、生きていた(いる?)自分がいます。
この黒い彼は、ふだん詩人としていきがっているわりには
案外ふつうで、しかもおくびょうなのです。

ホラホラ、これが僕の骨
見ているのは僕?可笑しなことだ
霊魂はあとにのこって
また骨のところにやってきて
見ているのかしら?

4
「生きている現実の中也くん」と「骨の中也くん」は、おにごっこをしたり
かくれんぼをしたり。。。犬も遊んでもらえて大喜びです。
実際は、出口がみつからず、孤独に苦悩している中也の叫びを
うんとコミカルに表現してみようと思いました。

ふるさとの小川のへりに
半ばは枯れた草にたって
見ているのはーー僕?
ちょうど立て札ほどの高さに
骨はしらじらと とんがっている

5
投げた骨(心)は、結局ブーメランのようにもどってきました。
でも、そこは、ふるさという「ありのままの自分」があるところ。。
本来なら、安らかな場所のはずです。なのに、どうしたことか、
荒涼とした草むらなのです。
もはやこれまで。。。無常感を抱いて横たわる「骨の中也くん」。。。
それをこんどは「生きているはずの中也くん」がしらけた目で
霊魂のようにただよいながら見下ろしています。
せせら笑っているのかも知れません。
犬は、骨が動かなくなったので、つまらなくなり どこかへ
行ってしまいました。 とさ。。。

もがいている心をおちゃめに歌ってみせた中也。
彼の心に寄り添って「哀しいけどユーモア」があって。。。
どこか清澄な音楽のような。。。 そんな絵にしたいと
欲張りながら描いた絵です。

(つづく)
こちらの絵は「映像で綴る日本の詩歌 中原中也」におさめられています。

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2010年2月18日 (木)

中原中也を描く その1「サーカス」

わたしは 物語に絵をつけるのも好きですが
詩に絵をつけるのも とても好きです。
詩人中原中也は、好きな作家のひとりです。
中也の代表作のひとつに「サーカス」があります。
こちらに絵をさしこみながら、読んでみますね。
読めば、そうそう!となつかしく思い出される方も多いのでは?

幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました
0
この戦争とは、日清日露戦争のことらしいのですが、それを描いても
詩の持ち味が台無しになるので、抽象画ふうにしてみました。
人らしきものを並べて兵隊さんをイメージ!
ぐるぐるした線は「争い」のつもり(笑)
ちらちらした白い円は、ちってゆく魂か(笑)

幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
今夜はここでひと盛り
今夜はここでひと盛り

1
「ひと盛り」にかけて「ひとり」をアップ!
どうやら時代は変わったらしい。空気感も変わって、何か感じている
つもりの人物。。(笑)

サーカス小屋は 高い梁(はり)
そこにひとつのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭さかさに手を垂れて
汚れ木綿の屋根のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
それを近くの白い灯が
やすいリボンと息をはき

観客様はみな鰯
のどがなります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
2

詩の場面は一転して、サーカス小屋に移ります。
空中ブランコなのにちっともわくわく感を感じません。
何かが。。。ただぶらさがって揺れているばかりに思えます。
それを見ている観客も 鰯のように群れているものの
歓声は聞えず、のどばかり鳴らしているようで、どこかぶきみです。
なんだか、さめたいのにさめない もやもやとした夢の中のようです。
どこか退廃的な中也の内面をのぞいているみたいです。

屋外は真っ暗 闇(くら)の闇(くら)
夜はこうこうと更けまする

落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

3
詩の場面は、サーカス小屋から外へ移ります。
暗闇のなかに、三角のテントだけが、ぼおーっと浮かんでいるようです。
時間も空気もただそこで、たゆってばかりで 進みません。
まるで、昔栄えた国が、深海にしずんだあと ひっそり霊になって
ただよっているような印象です。

幻想的な詩だなぁ。。
「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」という旋律が 心にこだまする。
虚無的で哀しいこんな擬音をつぶやいた中原中也。
彼は生来、普通の人とはちがって、えら呼吸しながら、きれいな沼に
棲んでいたのかしら?

(つづく)次回は別の詩と絵で。。。。
こちらは映像で綴る日本の詩歌「中原中也」に収めれれています。

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2010年2月14日 (日)

宮沢賢治「水仙月の四日」最終話

雪婆んご(ゆきばんご)が いいました。
「もう、休んでいいよ。
今年の水仙月も まぁ いいあんばいだったね。
うまく 済んだよ」
そして、口をびくびくさせて笑うと、東の空へ かけてゆきました。
雪童子(ゆきわらす)たちは、ほっとして むちを ふるのをやめました。
すると、あたりも 安らかになって いちめんに積もった真新しい雪が
青白く光りました。
空は みるみる晴れて 星たちがままたきはじめました。
雪童子のひとりが いいました。
「さっき、男の子が ひとり死んだね」
「だいじょうぶ。眠っているんだ。朝、ぼくが起こしてやるさ」
「そうかい。。。まぁ、いいだろう。じゃあ、先に帰るよ」
そして、めいめいの雪狼(ゆきおいの)を連れて、
北の空へ、かけてゆきました。
5
まもなく 東の空が 明るくなりました。
「夜が明けたね。あの子を起こさなくちゃあいけない。
ぼくに ついておいで」
雪童子は、雪狼にそういうと、男の子の埋まっているところへ
急ぎました。
「さあ、ここいらの雪を けちらしておくれ」
雪狼が たちまち 雪をけたてました。風が それを とばしました。
赤い毛布(けっと)のはじが、ちらりと見えた そのときです。
遠くで何か 叫ぶ声が 聞こえました。
雪童子は、雪の丘をかけあがります。
毛皮を着た 男の人が 一生懸命 叫んでいるのが 見えました。
男の子の名前を 呼んでいるにちがいありません。
「お父さんが来たよ!もう 目をおさまし!」
雪童子は叫んでふりかえると、赤い毛布が ゆれて
雪が はらはらと こぼれました。
雪童子は、むちをふるって、雪けむりをたてました。
すると、毛皮をきた人は、はっとして
向きをかえて、こちらへ走ってきました。
雪童子はくすりと笑うと、北の空へ かけあがってゆきました。

もうすぐ、この北の里にも 春がやってきます。
6

(おしまい)

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2010年2月11日 (木)

宮沢賢治「水仙月の四日」その3

雪童子(ゆきわらす)は、泣き声のするほうへ かけてゆきました。
すると、雪に足をとられた毛布(けっと)の男の子が
起き上がろうと、手をついているのが見えました。
手には、やどりぎの枝がにぎりしめられたままです。
泣きながら、よろよろとしているのでした。

「毛布(けっと)をかぶって、うつぶせになって 倒れておいで!」
雪童子は叫びました。
「今日はそんなに寒くはないんだから、こごえはしないよ!ひゅう!」
でも、男の子には、雪童子の声は 風のうなり声にしか
聞えません。泣きながら、また、起き上がります。

雪童子は、男の子をつきとばしました。
「動いちゃいけないったら!じきに雪はやむんだよ。
このまま 毛布をかぶって うつぶせで 倒れておいで!ひゅう!」
倒されても、男の子は、まだ、起き上がろうとしました。3
そこへ 雪婆(ゆきばんご)が やってきました。
「おや、おかしな子どもがいるね。
さっさと、こっちにとっておしまい。水仙月の四日なんだから。
命のひとつ ふたつ、とったっていいんだよ」
みだれて 波打つ髪を ぼうぼうとさせながら、雪婆んごは 命じました。
雪童子はうなづくと、
「ええ、そうですとも。さぁ、死んでおしまい!」
こんどは、思いっきり、男の子をつきとばしました。
「そうそう、それでいいよ。なまけたら、承知しないよ。
さあ、もっと降らすんだ!ひゅう!」
雪婆んごは、笑いながらそう言うと、むこうに行ってしまいました。
雪童子は、男の子にそっと言いました。
「動いちゃいけないよ。このまま、うつぶせで倒れておいで。ひゅう。」
男の子は、うっすら目をあけたようでしたが、もう力つきたのでしょう。
そのまま動かなくなりました。
雪童子は、こっそり笑いました。
「そうして、ねむっておいで。ふとんをたくさんかけてあげる。
そうすれば、こごえないんだよ。」

そして、男の子のからだを赤い毛布で、きちんと覆うと
雪をたくさんかぶせて ちいさな山をつくりました。
「これで だいじょうぶ。朝まで カリメラの夢を見ておいで。」
雪は、どんどん積もっていきます。
小さな山は たちまち あたりと、見分けがつかなくなりました。
「あいつ。。。ぼくの投げたやどりぎをずっと、もってたな」
雪童子はつぶやくと、ちょっと、泣いたようでした。
4
「さあ!しっかりおし!今日は2時まで、休みなしだよ!
ここいらは水仙月の四日なんだからね。もっともっと 降らしておくれ!ひゅう!」
雪婆んごの声がします。

そうして 日は暮れて、夜じゅう、雪童子たちは、むちをふり、
雪は 降って、降って、降り続けたのでした。
(つづく)

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2010年2月 9日 (火)

宮沢賢治「水仙月の四日」その2

「しゅっ!戻れったら!」
雪童子(ゆきわらす)が、むちをならして叱ると
雪狼(ゆきおいの)たちは くるりとふりかえり ごむまりのように
戻ってきました。
雪童子は雪の丘にあがりました。
一本の栗の木にやどりぎが美しい赤い実をつけています。
「とっておくれ」
雪狼に命じますと、一匹が 木にはねあがって がちがちと
枝をかじきり、くわえてもどってきました。
「ありがとう」
雪童子は、その枝を手にもつと、ふと
丘のふもとに目をおとしました。
すると、細い雪道を 赤い毛布(けっと)をかぶった男の子が
里へむかっておりてゆくのが見えました。
「きのう、あいつの父親は そりに炭をのせて町へ行った。
炭を売った金で、あいつは 砂糖を買ったにちがいない」
雪童子は、手にもっていたやどりぎを ぷいっと
男の子に投げつけました。
と、枝は 弾丸(たま)のようにとんで 男の子の足元に落ちました。
男の子はびっくり!枝を拾うと あたりを きょろきょろと
見回しています。
その様子をみた雪童子は、おかしくなって笑いました。
そして、むちをふりあげ、ひゅうとならすと、
まっさおな空にむかって 叫びました。
「カシオピイア、
もう 水仙が 咲き出すぞ。
おまえの 水車(みずぐるま)を
きっきと 回せ!」
2
とたん 風が吹いてきました。わくわくと黒雲がわいてきたかと思うと
雪がふってきました。それは、どんどん激しく、横殴りになっていきます。

赤い毛布(けっと)の男の子は、やどりぎの枝をしっかりにぎって
一生懸命歩きだしました。

そのとき、空から、老婆がおりてきました。
雪婆んご(ゆきばんご)です。
三人の雪童子と雪狼を従えています。
雪婆んごは、命じました。
「ひゅう、ひゅう!さぁ、なまけるんじゃないよ。
今日は水仙月の四日だ。もっと、降らすんだよ」
目をぎらぎらさせ、それは恐ろしい声です。
やどりぎを投げた雪童子も他の雪童子たちも
まっさおになって、唇をかんで いっしんに
むちを ふりはじめました。
ふれば ふるほど、雪ははげしくなります。
雪狼たちも 赤い舌をべろべろさせて 息をはき
雪けむりをおこしています。
たちまち あたりは、ひどい吹雪で まっしろ。
もう、丘も空も見分けがつきません。
ひゅうひゅうと風がうなるばかりです。
そんななか、かぼそい泣き声が、聞えました。
(つづく)

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2010年2月 4日 (木)

宮沢賢治「水仙月の四日」その1

ごぞんじ宮沢賢治は、たくさんの童話をのこしました。
どれも独特なファンタジーの世界ですが、そのなかに
「水仙月(すいせんづき)の四日」というお話があります。
水仙月とは、賢治の創作で暦ではないそうですが、
いかにも!という美しい響きですね。
こちらを、平易に短く、書き直してみました。

1_2

ひとりの男の子が 雪の丘を せかせかと急いで おりておりました。
小さなからだを 赤い毛布(けっと)でくるんだ かわいい男の子です。
男の子の足が、ますます速くなりました。
男の子の頭のなかは、さっきから カリメラのことで いっぱいなのです。
カリメラというのは、お砂糖を くつくつと 煮詰めたもので
男の子が 大好きなおかしです。
今、そのお砂糖を買って帰る道なのです。
「ああ、はやく家に帰って、カリメラをつくって、食べたいなぁ」

空は、どこまでも晴れわたっています。
つぅんと澄んだ青が 雪にはねかえって まぶしいくらいです。

さて、雪の丘の上では 二匹の狼が 走っておりました。
赤い舌をべろべろと吐いて じゃれあっています。
雪狼(ゆきおいの)です。こいつらは 人の目には 見えません。
ふぶきになると、狂いだし、雪雲をふんで、空をかけまわったりします。

「しゅっ!あんまり、離れたらいけないったら」
雪狼の後ろから、白い毛皮の三角帽子をかぶった子どもが
歩いてきました。りんごのようなほっぺが 輝いています。
雪童子(ゆきわらす)です。

      (つづく)

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