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2009年8月

2009年8月30日 (日)

京都の伝説「戻橋の鬼」その1

むかし、京のみやこの おはなしです。

ひとりのさむらいが 主人の言いつけで
夜の 見回りを していました。
このころ みやこには 強盗や 追いはぎが たくさんいて
人々が、襲われることが たびたびあったのです。

この夜も、さむらいは、左、右とあたりに 気をくばりながら
ゆっくり、ゆっくりと 馬を すすめておりました。
ときおり、猫らしきものが よこぎりますが、、
人影は みあたりません。
ぽくぽくと ひづめの音だけ 響きます。
まっくろな空には、眉のような月が
銀色に にぶく 光っておりました。
1
さむらいが 一条戻り橋にさしかかると、
たもとに 人が みえました。
どうやら 若い女のようです。
「こんな 夜更けに どうしたのだろう」
さむらいが 近づくと 女が顔を あげました。
「もし。。。。どうか そのお馬にのせて 送ってはくださらぬか」
笠の下に 白い顔が 浮かんでいます。
たいそう きれいな女です。
道すがら、連れのものと はぐれて
五条の家に、ひとりでは 帰れなくなってしまった
と いいます。
「それは、お困りであろう」
さむらいは 女を 馬にのせてやりました。
2
(つづく)

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2009年8月27日 (木)

第九のような蝉瀑布

8月25日(火)に麹町倶楽部が主催している
歌会を見学しました。
こちらを紹介、連れて行ってくださったのはアルキメデスさん。
いつもコメントをくださるグラフィックデザイナーさんです。
私は歌づくりは好きですが、自己流にすぎません。
たいした知識ももっておりませんので、とても緊張。。。
アルキメデスさんの背中に隠れるようにしてうかがいましたが
メンバーの皆様、あたたかく迎えてくださいました。

この倶楽部の歌は「五行歌」というもの。はじめて、知りました。
「五行歌」とは、歌人草壁焔太(くさかべえんた)という人が提案した形式
だそうで、短歌でも、俳句でもなく、「五行」でまとめれば良いそうな。

この日の出席者は17人。まず、それぞれの歌を一覧にしたものが
くばられます。作者の名前はふせてあるので、どなたがどの歌を詠んだのか
わかりません。わからないまま、お点をつけます。感想や意見を述べ合ったり
します。そのあと、作者が、名乗りをあげて、創作の動機などを話します。

その結果、この日の「一席」に輝いたのが、アルキメデスさんだったのです!

第九のような
蝉瀑布を
浴びた夜
コオロギのソロで
眠りに落ちる


蝉の声をベートーヴェンの「交響曲第9番、歓喜の歌」にたとえたところが
いちばんの読みどころです。みんなでいっっせいに大合唱。蝉の声が
どんなに大きかったか、伝わってきますね。山歩きでもされたのかしら。
その声を浴びるほど聞いた夜、作者は、コオロギのソロを子守唄に
眠りに落ちました。「昼と夜」「フォルテとピアニシモ」。。コントラスの
美しい歌だと思います。
蝉とコオロギという組み合わせも、ちょうど今、季節の移り変わりのはざま
をじゅうぶんに感じさせてくれます。
Photo_2
他、選にはもれましたが、わたしがいちばん好きだった歌はこれです。

柘榴 抱く(いだく)
種は 悲しみ
身を 裂いて
下界へ 触れる
紅き 翡翠そ

美しいです。わたしは、柘榴が熟れて、種がおちて、種が地面にちらばる
さまに、作者が何か、深い痛みを心にいだいていて、耐え切れなくなって
はきだした。。。すると、それは、紅い翡翠のような、怒りにも似た悲しみだった。
などと、推察したのですが、、ご本人はそういったわけではなかった様子(笑)。
でも、こうした勝手な解釈ができるのが、歌の楽しさではないか、と
私は思っています。

今回、わたしは見学ということで、歌はつくっていきませんでしたが、
来月は、つくって参加してみます。
年をかさねるごとに、自分の作品をきちんと批評してくださる方に
なかなか会えず、客観的な思考があやうくなっていくような気がして
不安でした。
ですが、この倶楽部では、私は新参者。
きちんと叱られてこようと思っています。めそめそするかも知れないけど、
それも勉強なので、楽しみです。
アルキメデスさん(山藍木 星)、よい機会をつくってくださって
ありがとうございました。

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2009年8月25日 (火)

かみなりの唄

きのう、こちらでは、すごい雷でした。
我が家のねこ「うずら」は、雷が大の苦手です。
行き倒れになって動物病院に保護されてきたのを
もらってきた子ですが、当時は手のひらにのる小ささでした。
親猫をはぐれて、さまよっているとき、雷にあったのか、
もう5年もたつ今でも、ごろごろと空が鳴ると、
腰がひけてしまいます。家のなかなのに。。。
みゃあみゃあとあんまり泣くので、押入れの中に入れてやりました。
奥の奥でふとんに顔をおしつけて、ふるえている「うずらちゃん」
かわいいのですけど。。。そこで、今日はかみなりの唄。

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がらすか ぴしゃり とおりみち
かみなりさんの とおりみち
なにを おこって いなさるか
わたしは よいこで いますのに
おへそは よそで とっとくれ

がらすか ぴしゃり とおりみち
かみなりさんは おかあさん
おそらの おうちに こおにさん
いたずら ぼうずで いなさるよう
つまんで おへそを なくしたと

かわりの おへそは ないかいな
かみなりさんは ないておる
こおに ふびんで ないておる
ぴしゃり ぴしゃり さがすみち
かわりの おへそを くれまいか

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2009年8月23日 (日)

葉月

さて、今日は月いち連載「monthly紋様」です。
こちらでは、わたしが着てみたい季節の着物をデザインしております。

暑さはまだ残りますけど、夏はもうすぐおしまいです。
ベランダに 蝉がころがっていました。
りっぱなみんみん蝉です。
十分鳴いて、だれかと 結ばれて、きちんと子孫を残せたのかなぁ。
すてるのも、どこか不憫で、サボテンの根元に埋めました。

それで思い出したのが「源氏物語」にある「空蝉」という章です。
心ならずも一度、光源氏にその身を許してしまった身分の低い奥方が
ふたたび、しのんできた源氏に、こっそり、衣だけ残して寝所をはなれる。、
さて、恋人に逃げられた源氏。
蝉のぬけがらのような衣を抱きしめて、なんと家に持ち帰ってしまった
といったお話です。
でも、その奥方は、自分が人妻だとか、光源氏がきらいだったとかで、
逃げたのではありません。女としても誇りを保ちたかったのです。
。。。お話が長くなるので、このへんにして。
こちらは、そのとき描いた、せみの脱皮。
1
夏の明け方、殻からぬけだしたばかりの蝉は、透けるほど青白く
目は黒々としてつぶらに。。宝石のように美しいそうです。
いちど、ほんものを見てみたいもの。

そして、こちらが、その奥方。誇りは保てたけれど、恋する気持ちは
断ち切ってしまったので、心はぬけがらのようになってしまいました。
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そんなわけで、浮かんだのが、平安時代の有職紋様を
小さく水玉のようにちらしてみた夏の訪問着。
色あいもおさえてみたので、奥方ふうです。
でも、小紋のような柄ゆきなので、大げさにはなりません。
オペラ、歌舞伎などの観劇のあと、お食事。
フランス料理でもよし。イタリア料理でもよし。いえいえ、やっぱり
懐石にいたしましょうか?夫とたまには、恋人気分。
少し贅沢、よそいきの夏の夜に。。。
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2009年8月21日 (金)

万葉集を学ぶ その5

そもそも、この万葉の時代「自然」という言葉がなかったそうです。
いちばん近いのが「おのずから」という言葉だったとか。
つまり「ありのまま」を観察する感覚はなく、
すべての現象は「おのずから」おこったこととして、
とらえていたそうです。
このあたりの講義は、とてもむずかしく、、
わたしの解釈が正しいかどうか、自信がないのですけど、
風はふくときにふいて、死は訪れるべきとき訪れる。。。
といったことかしら。。。と聞いておりました。

では、なぜ、人は歌を詠むのか?
歌の美しさって何だろう?
講義を通して考えると、それは「おのずから」を
わかっていても受け入れられない「人の性」にあるからではないか?
「もののあわれ」「あわれむ」といった心は、このへんから
生まれたのではなかろうか?と思うしだいです。

さいごに、こうした解釈から
額田王の有名な歌をひとつ、自己流で 訳してみます。

近江(琵琶湖のほとり)に都を移すことが、突然決まりました。
額田王は中大兄皇子(のちの天智天皇)にしたがって
住み慣れた飛鳥を去らねばなりません。
朝な夕なに見慣れた三輪山ともお別れです。
道すがら、額田王は、振り返って歌を読みます。

三輪山を しかに隠すか 雲だにも
心あらも 隠すさふべしや

(雲よ、三輪山を どうしてそのように 隠すのですか
せめて あなたぐらい思いやりがあってほしいのに。
わたしは、神さまに お別れを言おうとしているのですよ。
そのように 隠してよいものですか)

額田王は、自分たちが祭ってきた三輪山に宿る神の心を
なだめるためにも、なんどもなんども、振り返ったのでは
ないでしょうか?
でも、雲は青山を隠してしまいます。
「雲行きが怪しい。。」彼女の心には、暗い予感が
湧いてきたかもしれません。

そして、近江の都は、たったの5年して、
壬申の乱によって、戦場となり ほろびてしまいました。
近江には、聖なるものの加護がなかったからなのか?
都は、ふたたび飛鳥という盆地に、もどりました。
(おしまい)
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2009年8月18日 (火)

万葉集を学ぶ その4

「聖なるもの」は「異界」から、「青」をわざわざ
つくったのち、やってきたのかも?というのは
日本書紀に こんな記述があるからだそうです。

初め五十猛神、天に降りますときに
多々の樹種を もちくだる~(中略)
遂に 筑紫よりはじめて すべての大八州国のうちに
蒔きおおして 青山を成さずということなし
(神様たちは 地上に降りる際に やまとのくにに
 種をまいて 青山をつくったということだ)

また、古事記では、母イザナミ恋しさに、暴れん坊のスサノオが
大泣きしますが、そのとき。。。

その泣くさまは 青山の枯れ山ごとく 泣き枯らし
河海は ことごとく 泣き乾しき。。。
(泣いて、泣いて、青山を 泣き枯らしてしまったので、
海も河もみんな、乾いてしまった)

泣いたら、洪水が起こりそうに思うのですが、
青山が枯れるほど、泣いた。。。という表現になっています。
おまけに泣いたため、大地は乾いてしまったというのです。

やはり「青」は「聖」であって、「聖」は「青」なくして語れないのでしょうか?
講義は続きます。
神さまの「死」とは、下界におりること。
青山」に隠れるのは「死」の儀式。
その過程を経て復活。
再生の証として、わたしたちのいる下界で、稲の恵みなど
多くの幸をくださるそうです。
キリスト教のイエスさまの話「原罪」と、まったく逆だなぁ。。。と
思って聞いておりました。
2

(つづく)

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2009年8月15日 (土)

万葉集を学ぶ その3

こちらの記事は以前書いた
万葉集を学ぶ その1
万葉集を学ぶ その2 の続きです。

万葉時代 青の神秘

「あおによし」とは、「奈良にかかる枕詞」と習ったように思います。
また「青」とは「青、藍色」だけでなく「緑」の代用でもあるとも
習ったように思います。
でも、それだけなのだろうか?「青」という色には、この時代
もっと特別な意味があったのではないだろうか?

それはなぜか?古事記では、ヤマトタケルが こう歌っています。

やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣
山こもれる やまとし うるわし
(やまとは すばらしい国だ。幾重にもかさなる青い垣根のような
 山々にかこまれて、なんて美しいことか)

万葉集では、山部赤人が こう歌っています。

やすみしし わが大君の 高知らす 吉野の宮は
たたなづく 青垣ごもり 川なみの 清き河内ぞ。。。
(安らかに天下をおさめるわが天皇が お造りになった 吉野の離宮は
 幾重にもかさなる青い垣根のような山々にかこまれて
 清らかな川が流れているところで。。。)

この「青垣」、また「青垣山」「青山」ということばに注目して
万葉集を読んでいくと、「青」に囲まれた場所にいるのは
かならず、天皇か、神だということに気がつくのだそうです。

ですから、古代における「青」とは「聖なるものを囲む色」と、考えても
いいのではないか。。というお話でした。

では、「聖なるもの」は、はじめから、「青」の内側に鎮座していたのか?
そうではなくて、わざわざ、「青」をつくって「異界」からやってきたのではないか?
古事記や日本書紀を読むと、そんなふうに考えられるそうです。(つづく)
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2009年8月13日 (木)

被爆ピアノ「未来への伝言」を観る

8月9日。1945年のこの日、長崎に原爆が投下された。
そして、2009年のこの日、表参道の東京ウィメンズホールにて
被爆ピアノ「未来への伝言」を観る。

舞台の中央にすえられた一台のピアノ。
このピアノは、8月6日に広島におとされた原爆の爆心地から
1.8キロの地点であったにもかかわらず、奇跡的にのこったピアノだそうだ。
当時はガラスの破片が 無数にささって さんさんたるありさまだったというが
今はその傷跡はのこるものの、調律の矢川氏によって、
象牙の鍵盤は、声をとりもどしたという。
そのピアノをかこんで今日は、平和を願う公演。

「原爆がおちて 昼は夜になり、人は おばけになる」
暗転した舞台から 飯島氏の声が聞こえて、幕があがる。
絶望的なピアノの音。弾くのは谷川氏。
「これは、誰のせい?」「誰に罰を与えよう?」口々に叫ぶのは
クラーク記念国際高校の生徒さんたち
その叫びを煽るような三味線の音。
人間国宝 杵屋巳太郎のばちは激しい。
原爆を裁くため おおたか静流が 原爆の象徴「ケロイド」を
素材とした歌を唄いあげる。

わたしは、胸が熱くなってしまった。
わたしは戦争も体験していないし、原爆にも被災していないけれども、
終戦を小学4年でむかえた母に、疎開していた母の妹と
やりとりした手紙をみせてもらったことがある。
「お国のために戦っている兵隊さんのことを思って
お互いさびしいのはがまんしましょうね」とあった。
東京大空襲のあと、防空壕から頭をのぞかせてみた東京は
おそろしく見晴らしがよかった。。とも言っていた。

舞台は後半。飯島氏が絵本「ミサコの被爆ピアノ」を朗読。
ピアノと一緒に生き抜いたミサコという被爆者のことを知る。
「わたしはこのピアノをどうしても捨てられません」
飯島氏が読むと、谷川氏のピアノが答える。
「そうよ。わたしもあなたも生きているのよ」

その時代をまったく知らないクラークの生徒さんたちが
全員で「ずっと、忘れない。ずっと がんばるよ」を唄いだした。
そのあと、おおたか氏が 会場を合唱へといざなう。
曲目は「天空の歌」
巳太郎先生はお三味線をまるでギターのようにかき鳴らす。
ラスト、「ふるさと」を出演者も観客もみんなで合唱。
「♪わすれが~たき ふるさと~ わすれが~たき ふるさと~」
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すばらしく充実していた公演。
でもそれは出演されたメンバーが豪華であったからだけではない。
そこに若い人たちが一緒に交われたことではないか?
夏休み返上でがんばったのだと思う。
歌もセリフも、りっぱなプロたちを圧倒して上手だった。
彼らは、、これをきっかけに戦争に流されてしまった愚かな大人たちに
ついて考えてくれるだろう。
「おだやかって何だろう?」「自由に生きるにはどうしたらいいのだろう?」
あやまちを礎にして、これからを築いてほしいと思う。

とはいえ、それはわたしの年代ですら、今や実感として
むずかしいのだけれども。。。
わたしが描いた「平和絵本」を母に見せたとき、
まず一声がこうであった。
「こんなもんじゃなかった。。。」
Photo_2

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2009年8月11日 (火)

「波の唄」

わたしは童謡が好きなので、
新カテゴリー「童謡の色とかたち」を
開設してみました。
こちらでは、昔から唄われているもののほかに
オリジナルの作詞もしてみようと思います。
まずは、以前企業用のカレンダーに描いた絵に
詩をつけてみました

Kamome
あおい あおい 大きなゆめは

しろく しろく さざめいて

よせて かえして あそんでる

あんまり たのしそう なので

なかまに いれて くださいと

かもめに ことづけ たのんだら

ざんぶ ざんぶと おおわらい

うきわ だかえた おじょうさん

どうして いっしょに あそべましょう

ざんぶ ざんぶと おおわらい

おなかを よじって しろい波

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2009年8月10日 (月)

「したきりすずめ」最終話

おじいさんは つづらを 背負うと
すずめに 別れを 告げました。
「おたっしゃで」すずめが 手をふって 見送ります。
Suzume13
すずめとの約束ですが、おじいさんは
つづらの中身が 気になって しかたがありません。
Suzume14
すると、にわかに 黒雲が空をおおい、
あたりは まっくらになりました。
Suzume15
Suzume16
心優しいおじいさんは、おばあさんと 仲良く
いつまでも 幸せにくらしましたとさ。
めでたし、めでたし。 (おしまい)

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2009年8月 7日 (金)

「したきりすずめ」その5

おじいさんは、そろそろ 家が恋しくなってきました。
おいてきたおばあさんも きがかりです。
そこで、すずめに いとまごいをしました。
すると。。。
11
12
すずめは、おじいさんを からかって
みごと うらみを はらしました。
めでたし!  (つづく)

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2009年8月 4日 (火)

勝鬨橋たもとの「はしば」

夏の夕刻、築地。隅田川にかかる勝どき橋をわたる。
かつてこの橋は開門。飛び跳ね橋として勇壮な姿を見せてくれた。
そのたもとに「はしば」という和の酒処がある。
つい先日、こちらにおよばれして呑んだ。
というのも、店主の奥様が、わたしが毎月表紙を手がけている
「酒めん肴」という小冊子の担当編集者なのである。
1 酒めん肴8月号
食に関心の深い彼女と店主のなれそめは、なんと
「手作りパンの教室」だったそうな。。。
で、前菜でお目見得したのが、彼女手作りの小さなコーンパン。
レバーペーストがそえてある。
まずはと頼んだ生ビールと一緒にいただくと、
すいたおなかをちょっと落ち着かせてくれて、ほっと嬉しい。
「ビールとパンはお似合い夫婦」。まるで、店主と彼女のようね。
ふふふ。。。などと、心のうちでつぶやいているうち、
お料理は、どんどん進む。
「えだまめの豆乳ごま豆腐」「季節の野菜焼き」「まながつおの柚庵焼き」。。。
どれも品の良い味付けだが、どこか小粋な娘が顔を覗かせているようなお味。

聞けば、店主は「この道20年の鮨職人。でも15年、ニューヨークで修行」
とのこと。和の格式をはずした、自由なふんいきの味の秘密は
このへんにありそうだ。

成功と挫折の縦横の糸で織られているようなニューヨーク。
そんな都会のなかを流れるさまざまな価値観に、店主は身を置いてきたようだ。
されど、流されることがなかったのは、己の核に「和」をきちんとすえていた
からだろう。
そして、その核は「リアリズムに裏打ちされた夢」を育ててきたのかも知れない。

「どうして、ニューヨークではなく、築地でお店をかまえたのでしょう?」
私の問いに 店主は答える。
「魚は はるかに 日本が上物」
「では、なぜ鮨屋ではないのでしょう?」
店主は答える。
「呑む際に 鮨だけでは、ちょっと飽きる。
自分は「創作料理」ではなく、「和の型を変える流れ」をつくってみたい」
覚悟を感じる話しぶりであった。

思えば、歌舞伎も 今は伝統芸といわれる型の世界。されど もとは
庶民階級から生まれたもの。
みんなで楽しめる様式美を作り、時代の応じてその型を工夫してきた。
おそらく店主もそんな思いなのだろう。
2
さいごに江戸前の「づけ」をごちそうになって店をでる。
けっこう呑んだ。おいしかった。楽しかった。
勝どき橋をわたる風に吹かれて、ふらり、一休み。
とうとうとした黒い流れのむこうに高層ビル。
きらきら、きらきら連なっている。
時代は変わったのだ。時代に似合う「美しさ」って何だろう?
「はしば」には、このとび跳ね橋にかわって、跳ねて見得をきっていただきたい。
成功とふたりの幸せを祈って、かちどきをあげよう。

えいえいおう!えいえいおう!

ひとり、大江戸線で帰る。

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2009年8月 2日 (日)

「したきりすずめ」その4

すずめのおやどでは、おじいさんを かこんで
うたげが はじまりました。
すずめたちは おじいさんに 喜んでもらおうと
いろいろな工夫を しました。
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「どじょうすくい」を 踊ってみせました。
8
「南京玉すだれ」という芸も 見せました。
これは、すだれが 魔法のように
さまざまな形に なるのです。
9
「目かくし鬼」をして 遊びました。

そして、みんなで 歌も披露しました。
10_2
うたげは 三日三晩 続きました。
おじいさんは 大満足です。
めでたし!    (つづく)

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