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2009年7月

2009年7月31日 (金)

「したきりすずめ」その3

心優しいおじいさんは おばあさんに変わって
すずめにあやまります。
6_2
おじいさんとすずめはすっかり仲直りしました。
めでたし!    (つづく)

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2009年7月29日 (水)

「したきりすずめ」その2

心やさしいおじいさんは
すずめのことが 気がかりでなりません。
4
こうして、おじいさんは ようやく すずめに
会うことができました。
5_2
おじいさんが たずねてくれて すずめたちも 
おおよろこびです。めでたし!
       (つづく)          

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2009年7月27日 (月)

「したきりすずめ」その1

新しい、カテゴリー「あったとさ劇場」を開設いたしました。
こちらでは、だれもが知っている昔話を
パロディーまんがにおとしこんでみようと、思います。
ちょっと、大人用に展開させていく所存。
よいこのみなさんには、おすすめはいたしません(笑)

まずは、「したきりすずめ」から。
1
2
3
おじいさんは、まいごになって、泣いておりましたところ
親切なきこりに 助けられて、無事 家に帰ることが
できました。めでたし!           (つづく)

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2009年7月24日 (金)

岩手の昔話「たろうの笛の音」おわりに

このお話は「日本の民話」(未来社)の「笛吹き兼吉」をもとに
再話しました。「伝説」にならないかしら?と、調べてみましたが、
「ゆかりの地」などが、のこっていないようでしたので、
「昔話」といたしました。
Taro15
「かめの恩返し」というと、おじいさんになってしまう
「浦島太郎」が有名ですね。
こちらのお話では、病気はなおしてもらったけれど、
人間界にはもどれなくなってしまいました。
「良いこと」をしたのに、かならずしも幸せにはなれない、
といったパターンの背景を考えると、私は
昔の人の謙虚な心が見えてくるように思うのです。

くらしが今よりずっと貧しかった時代、
人と人はもっと寄り添って、助け合っていなければ
生きていくのとはできなかったでしょう。
昔話に「困った何か」や「かわいそうな何か」を助けるお話が
多いのもそんなわけでは?と考えます。

その一方、竜宮などの「異界の世界」については
西方浄土とかさねて、華やかで豊かなところとして
あこがれていたことでしょう。
そんな世界のふしぎな力を借りて、豊かに、幸せになってみたいと
夢みていたようにも思います。
されど、そのふしぎな力に頼ってしまったら、それだけでは済まない、
何か代償を払わなくてはならないのでは?と
畏れもいだいていたのでしょう。そんな心の揺れが、私には
謙虚に感じられてなりません。

また、笛の名人でもあり、人一倍やさしい心根であったゆえ、
竜宮のむこに選ばれたのではないかと思います。
人よりすぐれた能力や心根をもつものは、人より「重いつとめ」を
背負うさだめにあります。(盲導犬など、まさにそうで泣けます)
たろうは、望んでむこになったわけではないけれど、
竜宮では、そのつとめをりっぱに果たしていることでしょう。
笛の音は、竜宮の生き物たちを 楽しませているのでしょう。

その秀でた息子をもったがために、ひとりになった母を
山のけものたちが守ります。
たろうの笛の調べは、母をなぐさめると同時に
けものたちに 「母を頼む」とお願いしているのかも知れません。


 

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2009年7月23日 (木)

岩手の昔話「たろうの笛の音」最終話

それから どのくらい たったでしょう。
秋がすぎ、冬になりました。
ある晩のことです。

ひゅ~ ひゃらり ひょ~

笛の音が きこえました。
どこから きこえてくるのか わかりません。
でも、おかあさんには わかります。
「たろうだ。たろうの笛の音だ。」

ひゃらり ひゃらり ひゅ~らり ひょ~

「たろう、病気はなおったのだねぇ。
たっしゃなのだねぇ。」

と、すーっと 風がはいりこみ、
なんともいえない よい香りが はこばれて きました。
「ああ、お姫さまと いっしょなんだね」
おかあさんには わかります。
「そうか、そうか、幸せなんだね」
Taro11
それからというもの 笛の音は 
毎晩 きこえてきました。

ひゅ~ ひゃらり ひょ~

笛の音は 高くなったり 低くなったりしながら
おかあさんの家に しみこむように 響きます。

やがて いつのまにやら 家のまわりに
けものたちが あつまるように なりました。
うさぎも たぬきも きつねも さるも います。
鹿も いのししも います。
おそろしい おおかみさえも 目をとじて
じっと おとなしく 耳をたてているのでした。
Taro12
たろうは、もどらないけれど、
おかあさんは もう ひとりぼっちでは ありません。
笛の音を ききながら、けものたちと
なかよく ねむりました。

ひゅ~ ひゃらり ひょ~
ひゃらり ひゃらり ひゅ~らり ひょ~
Taro13 (おしまい)

おはなしの解説は記事で書きます!

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2009年7月21日 (火)

岩手の昔話「たろうの笛の音」その4

「たろう、どこ いく!」
おかあさんは あわてて 追いかけます。
外にでると たろうが、おさむらいに
手をひかれてゆくのが見えました。
ぼーっとした あかりが ふたりをつつんで
それは、 すべるような速さで 小さくなってっゆきます。
おかあさんは 追いつけません。
「たろう!たろう!」
どんなに よんでも ふりむきません。
と、おさむらいが、かめに かわりました。
背に 綿帽子を かぶった娘が のっています。
娘は 小さく手招きすると たろうを
となりに すわらせました。
「たろう!たろう!」
おかあさんの 声を あとに
たろうたちは そのまま 闇に 消えてゆきました。
どこかで、ちゃぷんと 水音が 聞こえたような 気がしました。
Taro8

あくる朝、おかあさんが おきてみると、
戸口に おこめが おいてありました。
やさいも 魚も あります。
きものも お金まで あります。
それは、次の日も その次の日も 毎日 届きました。
Taro9
村の人たちは くちぐちに うわさをします。
「滝つぼの むこうは 竜宮に つづいているそうじゃ。」
「竜宮に つれていかれたのか。おそろしいのぅ。」
「いや、いや、竜宮の姫様の むこになったそうじゃ。
たいした 出世よ」
なんだか うらやましそうです。
でも、おかあさんは ただ ただ 悲しくて 
泣いてばかり いました。
くらしは ゆたかに なったけれど、
おかあさんは ひとりぼっちになりました。
Taro10 (つづく)

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2009年7月19日 (日)

岩手の昔話「たろうの笛の音」その3

ところが その晩のことです。
たろうは、病気に なってしまいました。
おかあさんが、いくら看病しても 少しもよくなりません。
「どうしたものじゃろう」
お医者さんを よびたくても お金はないのです。
高い熱が つづきます。
おかあさんは おろおろするばかりでした。

ひと晩たち、二晩たち、三日目の晩のことです。
とん とん とん
戸をたたく音がしました。
おそるおそる あけてみると、
りっぱな おさむらいがたっています。
Taro6_2
おさむらいは言います。
「たろうを むこ様に もらいにきました」
おかあさんは 驚きます。
「たろうは、病気です」
あまりに 突然のことで、
そう、答えるのが、精一杯です。

「それは知っている」
おさむらいは、たたみかけます。。
「たろうは、このままでは 死んでしまう。
わたしが、つれてゆけば なおせるが
たろうは もどせない」

おかあさんは どうしていいのかわかりません。
たろうの 病気は なおしたいが、
たろうが いなくなるなんて。。。
だいいち、くらしが たちません。
たろうは だいじな 働き手なのです。
それを伝えると、
「それなら 心配いらない。これからは なんでも 届けてあげる」

そのときです。
戸口から すーっと風ははいり、
なんともいえない よい香りが はこばれて きました。
すると、たろうが むくりと 起き上がりました。
そして、腰に笛をさすと、そのまま 外へでていってしまいました。
Taro7 (つづく)

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2009年7月17日 (金)

岩手の昔話「たろうの笛の音」その2

たろうの笛は ゆうめいでした。
遠くの村の おかねもちの やしきに 
よばれて 笛を ふくことも ありました。
笛を ふけば、お金を もらえます。
でも、たろうは 楽しくありません。
おかねもちの だんなさまたちは いつも
お酒を のんでいるのです。
「やれやれ、うまいぞ。もっと ふけ」
はやしたてます。さわがしいばかりです。
でも、お金をもらえば くらしは 楽になります。

ひゅ~ ひゃらり ひょ~

たろうは 笛を ふきました。

Taro3

そんなある日のことです。
おかねもちのやしきからの かえり道、
滝つぼの前を とおりかかると、
わいわいと 人だかりが しておりました。
みれば、 大きなかめが います。
「どうじゃ。わしらが つかまえたんじゃ。」
男たちは かめの あたまを つついたり、
こうらに のって 踊ったりしています。
「かわいそうじゃ。はなして おやりよ」
たろうが 言っても だれも ききません。
「だめだめ、あとで こいつを 食べるんじゃ。」
「そうじゃ。みんなで たらふくやるんじゃ。」

Taro4

たろうは おかねもちから もらったお金を さしだしました。
「じゃったら、この金で かめを 売ってくれんかね」
お金を見ると、男たちはにんまり。
「ふん、これだけあれば、呑みにいけるがね」
「なによりじゃ。ひさしぶりに 町に くりだすかのぅ」

こうして たろうは かめを 滝つぼに もどしてやりました。
「もう、つかまるんじゃねぇぞ」
かめは いちど水にしずむと もういちど、
ちょこっと顔をだしました。
そして、たろうを見ると、うれしそうに
滝つぼの底へ 消えてゆきました。

Taro5 (つづく)

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2009年7月15日 (水)

岩手の昔話「たろうの笛の音」その1

さて、今回は 岩手みちのくに伝わる 少し
風変わりな恩返しのお話です。

むかし、ある村に たろうという わかものが
おりました。
たろうには お父さんが いません。
おかあさんと ふたりぐらしです。
山で しばを かったり、小さな畑を たがやしたりして
くらしておりました。

Taro1

山の仕事が 終わると、たろうは 笛をふくのが
楽しみでした。
切り株に 腰掛けて 思いつくまま ふいてみます。

ひゅ~ ひゃらり ひょ~
ひゃらり ひゃらり ひゅ~らり ひょ~

笛の音は 高くなったり 低くふるえたりしながら
山に しみるように 響きます。
すると、いつのまにやら あたりは しんとして
たろうの まわりに けものたちが あつまってきます。
うさぎも たぬきも きつねも さるも います。
鹿も いのししも います。
おそろしい おおかみさえも 目をとじて じっと
耳をたてているのでした。

Taro2

「もう 家に もどらねば。かあさんが 心配するな」
たろうが腰をあげると、小鳥たちが、肩にとまります。
そして笛の音をまねしているつもりなのか
ち~ち~ ひゅ~ちち ち~
と鳴くのでした。

(つづく)

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2009年7月13日 (月)

京都先斗町の小鹿さん

今年二月の終わり、京都へ行った。
天神さんの名で親しまれている
北野天満宮で梅を見た。まさに盛りのとき。
紅梅、白梅、八重、しだれと、鈴なりの見物客の顔を
かくすように競って咲いている。
どうしたものか、春のようにあたたかく、
羽織すらいらない日和であった。

その夜、先斗町へ呑みに行く。
飲み屋さんいっぱいの 細い細い小道の
奥の奥にある「上燗や」は、小さな小さなお店だ。

わたしは ひとり。熱燗を呑む。
しばらくして ひとつへだてた席に 彼女がすわった。
彼女も ひとり。熱燗を呑む。
いい年した女がふたり ひとりぼっちで お酒を呑んでいる。
なんとなく話でもしたくなるのが 情けというもの。
どちらからともなく 世間話。

思えば不思議な縁だった。別れ際に 名刺交換。
クリエイティブディレクターであった。
ペンネームは「段ノ滝 棗(ナツメ)」。愛称は「なつめハン」。

その後、晴海のフェスティバルで、彼女がディレクションした
キャラクターが登場する「花フェアリー」を見たり、
吉岡徳仁先生ディレクションのカルティエ展を見たり。。
そして、神楽坂で呑んだり、新宿で呑んだり。。。

色白のなつめハンには、日本酒がよく似合う。
なで肩に長めの首が、ふらりとしてきた頭をささえている。
涙袋の大きな目が二重にも三重にもなってきた。、
たいそう重たそうな目だ。目が重いので、眉が下がる。

泣き眉をいっそう八の字にして、彼女はいうのである。
「わたしはね、人と人を結ぶ人間になりたいの。
今ね、どれだけ才能あるクリエーターが、日の目を見ずに
終わっていると思う?わたし、それはいけないことだと思うの。
人と人をつむいで、才能が本来あるべき場所に きちんと
座れるような、そんな仕組みづくりをしたいの」
さかずき片手に彼女の弁は続く。
「おねえさん!(わたしのことらしい)
おねえさんの絵を見て、わたし、ぞくっときたの。
でもね、おねえさんのこと、世の中の人、知らないの。
おねえさんの世界観を みんなに知らせるのも、
クリエーターの「務め」です!」

Photo
こうして、わたしは ブログをはじめたのである。
ちなみに「ぷりん茶屋」と命名したのは、彼女。
つまり、なつめハンは、本ブログの「名付け親」なのである。

プランナー、クリエイティブプロデューサーもかねる彼女は
スポンサーと、メデイアのあいだを、京都と江戸のあいだを
飛び回っている。そのさまは「小鹿」のようである。

さぞ、忙しいのであろう、会うときはいつも移動中。
華奢なからだで、旅行バックをガラガラ引きずっている。
わたしは、ほっそりとしたうなじからつながる彼女の頭をみる。
頭には、大きな角がはえている。
おそらく「アンテナ」という角だ。小さなからだに大きなアンテナ。

彼女の志は大きい。いったい何を聞いているのだろう。
利益というビジネスのなかで、彼女のアンテナは
もひとつ、高いところを傍受したがっている。

彼女と私のつきあいはこれからだ。
志、同じくしたいものだが、それができるかは
わたしの才能が決めてくれるだろう。
もいちど、天神さんに 祈ってみましょうか?

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2009年7月11日 (土)

文月(ふみづき)

さて、今日は月いち連載、カテゴリー「monthly紋様」です。
こちらでは、わたしが着てみたい季節の着物をデザインしております。

3

先日、金魚を買いました。「福だるま」という種類です。
名前どおり、だるまさんのようにぷっくりしています。
そのうえ、尾ひれが短いので、泳ぐさまがゆったり。
よちよちした感じでとても愛らしいのです。
赤いだるまを「むさし」
白くて頭だけ赤いだるまを「おつう」と名前をつけました。

Photo

うちにはすでに和金が3匹います。
「えよ」「ふく」「ちゃちゃ」といいます。
和金はフナ型ですので、泳ぎが上手。
よちよち泳ぎの「むさし」と「おつう」が
うまくやっていけるか、心配でしたが
一緒にしてみたら、どうしたことか、
まあるいからだを精一杯、ぷるぷる、ぷるぷる
ゆらして同じ速さで泳いでいます。
山の手育ちのようにおっとりしていたのに、
あっという間に、下町育ちのちゃきちゃきになって
しまいました。。。。

「こー、こー、こーぃ」
呼ぶと、5匹は折り重なるように水面にあがってきて、、
めいっぱいおくちをパクパク。「ごはん、ごはん」と大騒ぎ。
と、黒猫くぅちゃんが、自分がよばれたものと
カンチガイしてやってきて、「だっこ、だっこ」と大騒ぎ。

やがて、おなかがいっぱいになった金魚たち。
いちばんからだの大きい「えよ」が先頭になると、
他の子たちが連なって、くるくる、ひらひらお散歩をはじめます。
くぅちゃんは、だっこされたまま、じ~っと見つめています。

というわけで、、日本の夏には、金魚。
今月の装いは「金魚の帯」を主役にしました。

Photo_2

夏に黒の帯は、かえって きっぱり涼しげにみえます。
夏ものの生地は透けているので、帯芯の白さがきわだつのです。
きものも 楽しく黄色の地に波紋様を透かし、藻をおりこんで
どこか、金魚鉢の風景。
素足に下駄で、ビアガーデンでも行ってみたいものです。

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2009年7月 9日 (木)

イタリアの赤うさぎさん

朝の光がさしこんで、彼女はカーテンを開ける。
そして、広がるこんな景色。
Photo_7
ここはイタリアのペルージャ。
彼女はここに住んで15年になるという
「牧田あゆみ」さんという絵描きさんだ。

私が彼女を知ったのは、つい先日のこと。
検索していると、こんな雑誌を見つけた。
6_2 にほんご6月号
私はこのコウモリの絵に とても惹かれてしまった。
キャラクターのシニカルなかわいらしさ。
麻の葉紋様との組み合わせの不思議さ。
しぼりこんだ色彩のなかで空間が見える。

そこで、たどっていくと、彼女のブログを見つけた。
HPも見つけた。
Photo_5
Photo_6 
赤の美しい絵である。
イタリアの展覧会には不案内であるが、
どちらもコンクールでの入選作品。
すばらしいので、思わず、コメントをつけると、
お返事をくださった。
彼女もそうそうに私のHPを見てくださったという。
「リンクをしましょう」とのお話。
とても嬉しかった。

私が彼女の絵に惹かれるのは、なぜだろう?
それはおそらく、彼女の絵の中にあるファンタジーが
決して甘くない、「ファンタジーの裏側を見ている絵」
だからだと思う。知的な絵だと思う。

私が「枕草子」の絵本や映像化をやってみたいと
申したら、彼女もとても興味があるとのお返事。
以前コンクールに出品した作品をテンプして
送ってくださった。
この絵も地元ペルージャで、システム手帳の
表紙になるそうだ。
Jpgs_2
「縁のふしぎさ」を感じる、彼女との出会い。
大事にしたいと思う。
これが仕事につながるのか、海のものとも
山のものとも、わからないものの
何かが、ゆっくり動き出したように思う。

いつか、わたしも写真の風景を
赤うさぎさんと見られることを祈って。。。。
Photo_8
牧田あゆみblog
牧田あゆみHP

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2009年7月 7日 (火)

万葉集を学ぶ その2

万葉人、魂の自然

小竹(ささ)の葉は み山もさやに 乱(さや)げども
われは妹(いも)思う 別れ来ぬれば

(山路を歩いていると、うっそうとした小竹の葉が
急にざわざわっと鳴った。
わたしは、別れてきた妻のことを 一途に思う)

これも 柿本人麻呂の歌です。

風の声、草木の声に耳を傾けていた万葉人。
魂宿る山の中で、突然の風がふきます。
何を告げているのか?
これは何かの兆しなのか?
旅人は不安にかられます。
そのとき、彼は一途に妻を思う。
それは、妻の身を安じたのではないそうです。

ふるさとにおいてきた妻に念を送ることで
妻の魂を呼び寄せたのだそうです。
妻の魂に飛んできてもらって、乱(さや)ぐ心を
一緒に耐えてもらっているのですよ。
という歌なのだとか。。。

見えるものより、見えないものを信じようとした
古代の夫婦の絆。
身は離れていても、魂は自由に行き来できるのでしょうか?
不安にかられる夫の肩に、小鳥のようにとまる
妻の魂を思い浮かべます。
と、同時に「きっと来てくれているのだ」と信じられる心の
清らかさに、己をふりかえって、恥じる思いでした。

この時代の自然とは、「周囲の環境」というものではなく
人も自然。つまり草木の一本と同様。
草木と一緒に、天から恵み、力を分けてもらって
生きていたのでしょうね。
わたしたちが今言う「不思議な力」というものが
ごくあたりまえに内在していたように思います。

これから。ひと月の短いお授業ですが
楽しみに通いたい。
他の話題「お話作り」などはなみながら、
レポートをまとめていこうと思っております。
2 (つづく)

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2009年7月 5日 (日)

万葉集を学ぶ その1

かねてより、「歌」を学んでみたいと思っておりました。
そこで、日大の生涯教育センターの
「万葉集」の講座を申し込んでみました。
何の知識も もたない私。
さわりぐらいやっておこうと思ったのですが、
案外むずかしく、心得が足りなかったと反省。
復習をするつもりで、お授業の内容を レポートとして
まとめてみることにします。

万葉人、魂の自然1

秋山の 黄葉(もみじ)を茂み 迷ひぬる

妹(いも)を求めむ 山道(やまぢ)知らずも

(秋の山にもみじがしげっているので、道にまよってしまった。
 妻をさがそうにも 山道を知らないことよ)

柿本人麻呂の歌です。

古代の人にとって、山は単なる山ではなく「御山」。
霊魂のあるところだったようです。
ですから、この歌は、死んだ妻に会いたくて
山にのぼった夫の歌です。
なのに、彼は妻の魂に会えなかった。
「山道を知らなかった」とありますが、これは、
「山の声」を聞けなかった己を悲しんでいるのだとか。

万葉の時代では、山であれ、空であれ、風であれ、
自然は魂の宿ったもので、おのずから力をもった存在でした。
ですから、人は自然を畏れ、敬い、
その心の声に耳をかたむけていました。
そして、その声を聴ける人もいるのに
聴きたいけれども、聴けない自分がいる。
聴けない自分は、妻の魂の在るところを
聴き取ることができないのです。教えを乞うことができません。

妻を失い、会えない悲しみがましていくような
切ない歌ですね。
1 (つづく)

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2009年7月 3日 (金)

静岡の伝説「ふたつの赤い月」最終話

ひょー!矢が風をきります。
続いて、ぐぶっ!ぐぶっ!と、にぶい音。
とたん、赤いふたつの光は 狂ったように
みだれとびました。
あたりの木は、なぎ倒れ、崖はくずれ、
山鳴りがとどろきました。
おろちは、大岩に身を打ちつけながら、
ぐわん、ぐわんと、のたうちまわっておりました。
8

七日七晩がたちました。
ふもとの村まで ゆさぶっていた山鳴りは
ようやくおさまり、ゆるゆると霧がはれました。
村人たちは、おそるおそる 山に行ってみました。

すると、岩のあいだに 姉と妹が
しっかりだきあったまま、はさまれておりました。
村人たちは、あわてて ふたりを助け出しました。

そして、その少し離れたところに
見たことのない大きな沼を見つけました。
なんと、沼は 赤く赤くにごっています。
ぶきみな泡が ぐぼぐぼ、ぐぼぐぼと
わきあがっておりました。
9

それからというもの ふたつの赤い月を見たものも
おろちを見たものもおりません。
姉と妹は、村にとどまり、村人たちに慕われて
いつまでも 幸せにくらしたということです。
10 (おしまい)

このお話は南伊豆、婆娑羅山に伝わる大蛇伝説を
アレンジしたものです。
大蛇の血がしたたって池のごとくなったという沼は
「池代」と呼ばれ、のちに「血源寺」という寺を建てて、
大蛇を供養したといいますが、今では残っていません。
しかし、大蛇の骨を埋めたとされる「蛇骨山大蛇院」は
なまって、「大地院」として、現存しています。

わたしは、この伝説にある「怖さ」より
姉妹のけなげな様子が魅力的で 再話してみました。
美しくかよわかったふたりが、父のかたきううちを決意。
弓の修行にはげみます。きっと、細かった腕は
すっかりたくましくなったことでしょう。
その一途な思いを 神様はしっかり受け止めてくれました。
きちんと努力をすれば、ちゃんと見ててくれる人は
いるのですね。
そして、みごと本懐を遂げます。めでたし!です。

物語の舞台は、赤い月と赤い沼。白い霧と白い姉妹。
黒い闇と黒い大蛇。色の対比。静と動の対比も美しい。
神秘を描ける伝説といえましょう。 

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