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2009年5月

2009年5月31日 (日)

山形の伝説「あこや姫」(第三回)

あくる日、千歳山の松の樹のまわりを

おおぜいのきこりたちが、かこみました。

松はたちまち切り倒されました。

「やれやれ、この樹ならば、

りっぱな橋になってくれるだろう」

みごとな大木を手にいれて、みんな嬉しそうです。

そのころ、名取川は暴れ川でした。

嵐になるたび水があふれ、

いくら橋をかけても流れてしまいます。

国の人たちは、がんじょうな橋が

ほしいと思っていたのでした。

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さて、樹を運ぼうと、きこりたちは

松にぐるぐると縄を巻きつけました。

そして「よいさぁ!」 かけごえをかけて、

いっせいに引っ張りました。

ところがどうしたことか?松は少しも動きません。

村人たちも応援にかけつけましたが、

押しても引いても、まったく動きません。

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そこへ、あこや姫がやってきました。

昨夜の夫のことばを 確かめに来たのです。

そして、切り倒された松を見て、

それがほんとうであったことを知りました。

樹にかけより、すがって長いこと泣いておりました。

しかし、やがて、すくと 立ちあがると、

松を巻いた縄を持ち、

あこや姫は、静かに言いました。

7 (つづく)

          

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2009年5月29日 (金)

山形の伝説「あこや姫」第二回

その夜から、あこや姫が琴を奏でるたびに、

笛の音が寄り添うようになりました。

やがて、姫が、若者を心待ちにするようになると、

若者は立ち去らなくなりました。

こうして、いつしかふたりは、夫婦になっておりました。

若者は毎夜のように通ってきて、姫に

やさしい言葉をかけます。姫は幸せでした。

しかし、不思議なことに

「どうぞ、お名前をあかしてください」

と、問うても。若者は首をふるばかり。

だまってしまいます。

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どうしてでしょう?

そのわけは、ある日突然わかりました。

若者が打ち明けたのです。

「あこや姫よ、実はわたしは人ではない。

千歳山にある大きな松の精なのです。

姫が花を摘む姿を見ているうちに、

いとおしくなり、こうして参ったのです。」

驚く姫を抱きしめながら、若者は続けます。

「されど、夫婦のえにしも 今宵かぎりとなりましょう。

明日私は、名取川にかける橋木になるさだめです。

ただ、斧で切り倒され、千人のきこりに縄で、

引かれることになっても、私は、そなたのいる

千歳山を離れますまい。」

若者が苦しげに言い終わると、

あたりは、にわかに霧がたちこめました。

姫は泣いて追いかけます。

「たとえ、松の精であろうとも、

貴方はわたしのいとしい夫。

夫婦の契りのお約束を忘れはいたしません。」

しかし、霧は若者を包み隠してしまいました。

4 (つづく)

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2009年5月27日 (水)

山形の伝説「あこや姫」(第一回)

今回は、山形県の千歳山にまつわる

美しく悲しい伝説をひとつ。。。

むかしー都が奈良にあったころのお話です。

出羽の国千歳山のふもとに住む藤原豊充という人に

それは美しい姫がおりました。

名前をあこや姫といいます。

姫は歌も上手に詠みましたし、琴もすばらしく奏でます。

お稽古がすむと、千歳山にある大きな松の樹の下で

花をつむのが、大好きなやさしい姫でした。

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ある春の夜のこと。

あこや姫は琴を弾いておりました。

きれいな月夜でしたので、御簾を上げて

からだを少し 簀子にだしておりました。

すると、どこからか笛の音が聞こえてまいります。

そのみごとな音色は、どうやら琴の音に合わせているようす。

姫がかきならせば、笛の音も高く、

姫がそっと爪弾けば、笛の音の低く寄り添ってまいります。

やがて、琴の音と笛の音は、心をひとつにして、

合奏をはじめました。月もうっとりするような

みやびやかで、清らかな調べが流れてゆきます。

「どなたであろう?」

姫が手をとめて、顔をあげますと、

庭石のそばに若者らしき人影がちらり。

でも、その姿はふっと、かき消えてしまいました。

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       (つづく)

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2009年5月24日 (日)

芙蓉の花を読む人

この方にお会いすると、私はいつも

芙蓉の花を思い出す。あの夏に咲く

ハイビスカスにも似た華やかな花である。

飯島氏は朗読家。

わたしは、「平和絵本」という東京大空襲を

題材にしたお仕事でご一緒した。

朗読会にも何度か足を運んだ。

彼女はアンデルセンなどもお読みになる。

もともと、かわいらしく甘えた声なのである。

されど、わたしが好きなのは、彼女の読む

菊池寛の「藤十郎の恋」である。

藤十郎という上方歌舞伎のトップスターが、「不義密通」の

「密夫(みそかお)」を演ずることになった。

だが、その工夫がつかない。そこで、

人妻に恋を仕掛けようと、思いつくのだが。。。

~それは、恋ではなかった。それは、激しい欲情ではなかった。

そのくだりになると、彼女の声も熱をおびてくる。

藤十郎は「密夫の役」になりきるつもりで、人妻を

ひたすら、ひたすら、くどく。

~のう、お梶どの。この藤十郎の恋を あわれとはおぼさぬか?

二十年来耐え忍んできた恋を あわれとはおぼさぬか?

読み手の声が詰め寄る。藤十郎のごとく。

聞き手はすくんでふるえる。お梶のごとく。

その後、偽りの恋を仕掛けられたと知ったお梶は

己を恥じて、だまって首をくくった。

~藤十郎、芸のためには、一人や二人の女の命は。

藤十郎が 心の中でうめいた時、

読み手の顔が 染まっていた。

芙蓉の花は、朝ぼらけのうちは白く、夕方に向けてピンクに

なる不思議な花で「酔芙蓉」ともいうそうだ。

彼女はどこへゆくのだろう。

酔うように読むことを演じて、

彼女は何になるのだろう。

藤十郎は、罪のない人妻の真心を踏んで

芸をきわめていった。

彼女には、子供はいるが、夫はいない。別れたと聞く。

それは、芸のためだったのか?

真実、命を賭した恋のためだったのか?

いたずらを見つけられた子供のように 彼女が笑った。

芙蓉の花は、枯れても地面に落ちない。

花弁を茶色くしぼませて、

小さな拳のようなタネを たくさんのぞかせる。

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飯島晶子さんのホームページとブログです

http://akikoiijima.web.infoseek.co.jp/

http://blogs.yahoo.co.jp/robanomimi_a/

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2009年5月22日 (金)

薪能「清経」を見にゆく(後半)

「清経」のテーマは、男女の価値観の永遠の相違です。

「命」より「美の観念」を選んだ清経に対し、

妻は、夫婦として連れ添う「実」こそ大事です。

♪えんやこら、今宵も 舟をだす~

清経は、月下、小舟で沖にでて、笛を奏し、

謡ってみれば、栄華のはかなさに

しみじみしてしまいます。

「現世とはこのように移ろいやすいものなのだ。

それより西方浄土へまいりたいものだ」

そして、がばっと、海に身を投げました。

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♪あれから幾年、こぎつづけ

大波 小波 ゆらゆられ~

極楽見えたこともある~

地獄が見えたこともある~

清経は、妻に言い聞かせます。

「いいですか。私は戦で人を殺したのですから、

本来ならば、修羅道に行くはずだったのです。

ですが、命を絶つおり、ただ一身に

清らかに念仏を唱えてることで、往生できることになったのです。

何が悪いんです!ありがたいことなのですよ。」

されど、妻はあくまで、

「夫婦の契りのお約束を反古にしたくせに!わたしの心は

真っ暗よ!なんと、恨めしいこと!お恨みします!」

と、言い張っています。

最後、清経は「もうガタガタ言うな!」と言い放ち、

ひとり極楽浄土へ旅立っていったのでした。

Kiyotsune4_4

夢のなかとはいえ、せっかく、再会できたのに、

ふたりはずーっと平行線。

夫婦であっても、男と女、

最後まで分かり合えないのは致し方ない

ことなのか?

♪それでも やっぱり逢いたくて~

えんやこら、今宵も 舟をだす~

なにやら、妙に夫の顔を思い出す。

♪Row and Row Row and Row

振り返るな Row~ Row~

風がひどく強く、着物の裾を押さえながら、

帰途についた。

幼い頃、祖母によく連れられていった神田明神。

今は毎年初詣に参っている。

猫の骨壷には、こちらでもとめた平将門の

お札をそえている。

でも、神田明神の薪能が、江戸中期まで続いていた

神事能であったのは、知らなかった。

かつては万世橋のたもとに、二階建ての大きな舞台を

組んで開催されていたそうな。

今は本殿を能舞台に仕立てて、復活していた。

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2009年5月20日 (水)

薪能「清経」を見にゆく(前半)

神田明神に薪能を見に行った。

今宵の演目は「清経」

清経は平清盛の孫。源氏に追われ、九州まで

都落ちしたとき、世をはかなんで、入水自殺。

形見として、鬢(びん)の黒髪をのこします。

しかし、妻はこれを手元に置くことを拒否。

九州へ送り返してしまいます。

Kiyotsune1

そこで、清経は亡霊となって妻の夢枕に出現。

「いとしい妻よ、清経がまいりましたよ。

それにしても、どうして、形見を受け取ってくれないのです。」

すると、妻。

「それは、思いあまってのこと。

お形見を見れば、悲しさがつのるばかりですからね。

それにあなたこそ、なぜ、わざわざ自ら死んだのですか?

まだ、負けが決まったわけでもなし。

せめて、討ち死とか、病死とかなら

あきらめもつきましょうに、

自殺とは、ひどいではありませんか?

私と連れ添うと約束したのはうそだったの。

キーッツ!」

ごもっとも。私はシテよりツレ、

つい妻の気持ちになって見ておりました。

しかし、清経は、

「お参りしたら、神さまが、平家は

滅亡するしかないと言ったのだ。

ならば、未練がましく、浮き草のように

さまよって、どうするのだ。

これ以上みじめな思いをするより、

美しく死にたかったのだ」

と言うのです。

あんまりです。残された妻はどうすればいいのでしょう。

殿方は「大義」や「美学」でご満足なさっても、

一途に夫を慕ってきた妻の気持ちは

おきざりにされています。

私の脳裏に歌が浮かんでまいりました。

♪男と女のあいだには~深くて暗い川がある~

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                   (つづく)

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2009年5月16日 (土)

絵本について思うこと

絵本って何だろう?児童書って何だろう?

ときどき考えます。

字のまだよく読めないこどものために

絵がたくさんある本かしら?

でも、大人になってから、また、読んでみたい

と思い出す本もあります。

とはいえ、読んだのは、子供のとき。

いったいなんというお話だったかしら?

タイトルさえままならず、頭にのこっているのは、

絵のいち場面だったり、お話のいちフレーズだったり

します。

私の場合、それが、ひどく悲しかったり、つらかったり

する場面が多いのです。主人公がいじめられたり、

捨てられたり、さまよったり、こわかったり。。です。

母に読んでもらいながら、なんてかわいそうななんだろう。

どうなる?どうなる?と思っているうち寝てしまい。。。

翌朝、続きが気になって、夜になるのが、待ち遠しい(笑)

なんてことがよくありました。

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お話のあいだ、主人公になりきって、

不幸の渦中に悶々といるものですから、

それを乗り越えて、幸せになってくれると、

ほんと晴れ晴れしたものです。

時には、理不尽なまま死んでしまうお話もありました。

そのときは、わけわからず、ショックなのですが、

悲しい場面をまた繰り返し、

読んでもらいたくなったりするので不思議です。

大人は、子供に絵本を読んであげようと思うとき、

喜んでもらおう、やさしい子供になってもらおうと、

楽しいお話や、なごやかなお話ばかりを選びがちになります。

されど、少し大人に近づく頃ともなれば、生きるということは、

ままならないことがほとんどだと気がつきます。

そんなとき、自分の心を守るのは、つらい経験だったりするものです。

今の子供たちは、ひとりっ子が多いですし、経済的にも豊かですし、

世の中に「子供の人権」という観念も定着しています。

昔よりずっと、大事されているように思います。

されど、保護されているだけでは、

「バランスのよい心」は育たないように思うのです。

私は「バランス」というのは、自分がつらいときにも、

まわりが見える、思いやれる、つまり、自分を

客観的に見られる心だと思っています。

そんな意味でも、

どうぞ、たまには、悲しいお話やこわいお話で

つらい思いをさせて、泣かせてあげてください(笑)

きっと、大人になろうとするとき、

心の指針や支えになるでしょう。

しがない絵描きの愚見になりました。

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2009年5月14日 (木)

悟りたいもの、悟れないもの

南麻布の「SATORI」という店に

連れられて、はじめて行った。

店内はどこか凛としたたたずまい。

まずは、ビール。つきだしがでる。

並びが美しい。こはだの小さなお鮨がおいしい。

この店の「心構え」を見たようで、

楽しい予感にかられる。

「呑む」のが、いっときの旅とすれば、

そのはじまりに、網目のきれいな

新しいわらじをわたされたようなここちだ。

先達となる店主の顔を見る。

坊主頭がすがすがしい。まだ、若い。

目が大きくて、力を放っている。

「鶴齢(かくれい)」という日本酒が

この店のお勧め。

はじめて知る銘柄である。

店主によれば、新潟の蔵で昔ながらの手づくりとか。

清らかで青竹を思わせるような口当たり。

そこで、連れとの話題は、酒づくりの話となった。

彼女いわく、取材先のオートメーション化した蔵元で

「手作りが良いわけではなく、手間をかけるをことが

大事なのだ」という話を聞いたそうな。

なるほど。。機械の力を借りれば、

今までできなかった工程をふみ、

いっそう精度の高いものができるのかも知れない。

と、悟った気持ちになったものの。。。

思うのである。

蔵に男たちのおおらかな唄声が響いて、

その節回しをはやくしたり、遅くしたりで

時を計り、仕込みを工夫する。

米も酵母も唄にあわせて、踊りだす。

そんな工程をなくして、機械にまかしてしまうのは、

人の原始の力、すなわち

天から神様が降りてくるような想像への感覚

を捨てていくような気もする。

「鶴齢」の酒づくりで、まだそんな人の力が

伝承されているのであれば、貴重である。

料理をきれいに、食べて、

最後に鯛茶漬けをいただいて、帰途につく。

店主は何を「SATORI」たいのだろう。

料理を極めたいという「志」をもって命名したのか?

おいしいとはこれだ、とお客に「SATOってほしい」のか?

悟れないことばかりの人生を、笑うように

月が細く照っている。

店主の大きな目とは、反対だ。

Satori

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2009年5月12日 (火)

「耳袋~忠義なぶち猫」(後編)

Neko6

なんということでしょう。

子牛のような大きなねずみが

転がっています。

その喉もとには

ぶちが、がっぷりかみついています。

ねずみもぶちも死んでいました。

そのかたわらに虎吉。

虎吉もさぞ、戦ったのでしょう、

血だらけです。

でも、肩で息をしていました。

こうして、娘は元気になりました。

「おおきに。おおきに。」

ぶちを抱いて、娘はほろほろ泣きました。

Neko7

虎吉は、傷をなおしてもらってから、

川むこうの市兵衛さんの家に返されました。

ぶちは、庭に埋められて、

お墓をたててもらいました。

まぁるい石をおきました。

しばらくすると、石に草がはえました。

ぶちのひげのように、細い細い草でした。

まるで、ぶちがうずくまっているように

見えたということです。

     (おしまい)

このお話のおもしろさは、なんと言っても

ぶちのキャラクターにありますね。

「ねずみを捕るのは猫の仕事なんだけど、」

なんてわざわざ言い訳する、とぼけたカンジが

愛らしいです。

虎吉の力を借りたものの、最後は必死の覚悟。

「ここが死に場所」とこころえ、

妖怪ねずみに挑んだのでしょう。

「虎吉を死なせて何としよう、

最後はわてが決着をつけねば」といった

気持ちだったのでは?

まさに「さむらい魂」「義」の志。

畜生ながらあっぱれです。

最後に、筆者は東京生まれ。大阪弁もどきに

なってしまったのをお詫びします。

ご容赦くださいませ

Neko1_2

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2009年5月10日 (日)

「耳袋~忠義なぶち猫」(中編)

「ご主人、わてが 嬢ちゃんのそばを

離れなんだのは、屋根うらにいる

妖怪大ねずみが、嬢ちゃんの命を

ねろうているからでおます。

まぁ、ねずみを取るのは、わての仕事でっせど、

その妖怪ねずみはえろう強くて

わてひとりじゃとてもかないまへん。

どうぞ、川むこうの市兵衛さんのとこにいはる

「虎吉」ちゅう猫を借りてきておくなはれ。

二匹で、かかれば、なんとか、退治できまっしゃろ。」Neko4

そこで、お父さん、虎吉をかりてきました。

ぶちは、いつまにやら、

河内屋にもどっており、すずしい顔。

虎吉を見ると、鼻をつきあわせ。。。

どうやら、軍議のようす。

お母さんは「気張ってな。頼みます」

手をあわせ、二匹にたいそうな

ごちそうを食べさせてやりました。

Neko5_5

そして夜。

二匹は屋根うらにあがっていきました。

とたん、にわかに嵐になったよう。

どす、どすと、われんばかりの音。

柱もぐらぐら、ゆれています。

「ふぎゃあ!ふぎゃ!」ぶちの声か?虎吉の声か?

お父さんもお母さんもふるえながら、

やぶれそうな天井を見上げています。

そうして、一刻もすぎたころ。。。

「ぐきゅう。。」

気色悪い声がしたかと思うと

静かになりました。

お父さん、お母さんはおそるおそる

屋根裏をのぞいてみますと。。。

    つづく

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2009年5月 7日 (木)

「耳袋~忠義なぶち猫」(前編)

今回は「耳袋」からわたしの好きな猫のお話を

ひとつ。

むかし、大阪の「河内屋」という大きな店に、

かわいいと評判のひとり娘がおりました。

娘はぶちの猫を飼っていました。

ぶちは、娘といつもいっしょです。

ごはんのときも、寝るときも、お稽古にでかける

ときもいっしょです。

厠にまでついていきます。

Neko2_2

そのうち町では、こんなうわさが、広まりました。

「あの娘には、猫が憑いているんとちゃうか?

それを聞いた娘のお父さんとお母さんは

困ってしまいました。

これでは、お婿さんがもらえません。

仕方がないので、娘にはないしょで、

こっそり、ぶちを捨てに行きました。

でも、なんど捨ててもぶちはもどってきて

しまいます。

「いっそのこと、殺してしまったらどないか」

お母さんが言うと、お父さんも

「かわいそうだが、しゃあないか」

しかし、気配をさっしたのでしょうか?

ぶちはふいっと飛び出すと、そのまますがたが

見えなくなってしまいました。

Neko3

しばらくして、娘は寝付いてしまいました。

お医者さんも首をかしげるばかり。。

娘はだんだん弱っていきます。

そんなある夜、お父さんの夢枕にぶちが

現れました。

前足をきちんとそろえたぶちが

神妙な顔をして言うことには。。。。

つづく

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2009年5月 4日 (月)

皐月

買い物の道すがら、すれちがう子供たちが

みんな薄着になってきました。

半そでの子も交じっています。

お洋服を着せられていた犬たちが

本来の姿にもどって、

長い毛ふりふり、お散歩しています。

銭湯の一番風呂帰りの人が

ぬれた髪を風にまかせて、

ここちよさそうにカタカタと歩いています。

そんな風薫るころになると、

わたしは、すぐに「ひとえ」になってしまいます。

しきたりでは、衣替えは

6月からですが、守っていません。

せっかくのここちよい風ですもの。

着物を軽くして、風にふかれてみたくなります。

今月は、いかにも皐月といった青地に

獅子紋をすかして見ました。

すると、水の波紋のようにも見えましたので、

その下に鯉を大きくあしらってみました。

池の中を泳いでいるようにも、滝登りを

しているようにも、みえます。

柄ゆきは浴衣ふうの、気軽さですが、

こちらに白襟をのぞかせて、博多帯を

しめますと、小粋ながら、きちんとします。

昼間のお食事あたりに、すてきそうです。

Satsuki

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2009年5月 1日 (金)

ぽんぽん船の人

青山にある「ウィル」という

編集プロダクションの片岡氏と呑む。

お酒をご一緒するのは、

2年ぶりぐらいかも知れない。

三十代のころは、体力もあって、

よく一緒に仕事をし、よく一緒に呑んだ。

ともに手をたずさえて、

ものづくりをしている感が大きかった。

されど、年月は流れ、彼女は経営者になり、

立場もちがってきた。

片岡氏は佐渡の生まれだが、

たらい舟にのっているのは、

彼女ではなく、わたしのように思う

このごろである。

わたしは、たらい舟で、釣り糸をたれている。

彼女はぽんぽん船にのって、漁にいく。

白い波たて、ぽんぽんぽん。

沖へ沖へ、魚のむれを追ってゆく。

わたしが、一匹釣り上げたころ、

ぽんぽん船が、もどってきた。

はためく大漁旗のあいだから、

彼女が笑ってくれている。

しばし、たらい舟もぽんぽん船も

波間をゆらり、ただよって、

手柄話に、えもの自慢。

泣き言話に、病気自慢。

おいしいお酒に酔うてみる。

彼女と私は、そんな距離がここちよい。

おそらく、ずっと、この調子。

おそらく、ずっと、この調子。

Kaokataoka

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